ようやく、猛暑の厳しさが和らいできたように感じますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
私は仕事が忙しい時期ではありますが、毎週礼拝を守ることができることに感謝しています。
先聖日は竹内俊之先生をお迎えし、コリント人への手紙第二4章から「土の器」のお話をしていただきました。
7 私 たち は、 この 宝 を 土 の 器 の 中 に 入れ て い ます。 それ は、 この 測り 知れ ない 力 が 神 の もの で あっ て、 私 たち から 出 た もの では ない こと が 明らか に なる ためです。
8月は時折、近隣の高校生や大学生が礼拝を訪れることがあり、その時は少し緊張します。
彼らが委縮してしまわないだろうか?
説教が理解できるだろうか?
この教会にどんな印象を持ってくれるだろうか?
しかし、この日のお話は、「土の器」とは私たちの心がもろい者のたとえ、欠けでさえ、光が漏れ、神様の愛があふれている。ということを学びました。
そして、説教の後の讃美歌が本当に心にしみました。
竹内先生が選び、岩淵姉が奏楽と歌詞の字幕を準備してくださいました。
礼拝後に高校生たちに「説教の内容理解できましたか?」と聞いたら、「理解できました。讃美歌はどうやって選んでいるのですか?」と質問されて、とてもうれしかったです。
土の器に例えられた私たちの心。
一見心が強そうに見える人、土の器ではなく陶器でできていて一滴も漏れることがないような丈夫な心を持っているように見える人であっても、人生を過ごしているうちにひびが入り、壊れてしまうこともあるかもしれません。
天に召されるその時まで、欠けずに完璧でいられる人はたぶんいないでしょう。
だからこそ、私たちは人の痛みがわかり、神様が私たちにして下さったように愛を分け与えることができるのです。
はらちゃん
コメントをお書きください
まみぞう (金曜日, 06 9月 2024 06:07)
はらちゃんお疲れ様です。
土の器、とにキャンでも賛美したそうです。
素晴らしい讃美歌たくさんありますね。
これからもみんなで新しい曲にチャレンジしていきたいです。