お元気にお過ごしでしょうか。
気がつけば暑かった夏の日々も去り、秋らしい涼しさを感じつつも、
今年も残すところ3ヶ月となったことを驚く私ですが、皆さんはいかがでしょうか?
さて、今日は私が中学生の時に教会で聞いて印象に残ったメッセージを共有させて頂きます。
とはいっても、詳しいメッセージの内容は忘れてしまったのですが、
要点としては、『世の中に絶対と言えることは『死』しかない』ということです。
中学生だったのは遥か数十年前ですが、いまだに覚えているほどに忘れられないフレーズとなりました。
それ故に、何よりも『死』について真剣に考え、その後のことについても考える必要性を学ばされました。
絶対に訪れる私たちの『死』に対して、永遠の命と共に、愛と希望のメッセージを与えてくれるのは神様からの聖書のメッセージです。
先日、臨月となった妻の大きなお腹を見ながら、ある教会の信徒の方が、生まれてくる気がしないという妻に対して、
『再臨と同じように必ず生まれてきますから大丈夫です』と励まして下さっている姿を見ながら、その信仰が素晴らしいと思わされました。
再臨とはイエスキリストが再びこの地上に降りてくる、という聖書に記されている預言なのですが、
出産と同じように現実的に捉えておられる信仰が果たして自分にもきちんとあるか、ということを示されました。
いつその時が来るかわからない中、備えもせずに油断しているところで、本当に再臨があったら大変なことだと思います。
出産もいずれは高い可能性で起こることだと信じていますが、一方できちんと準備出来ているかどうかは別問題ですね。
妻は事前に産婦人科に入院することを知りながらも、準備は万端ではなかったようで、入院後に私が幾つか物を届けている始末です。
同じようなことは色々な面で私にもあるので人のこと言える立場ではありませんが、このようなことを思いつつ、
いつ来るかわからない『死』について、いつ訪れても良いように準備に努めることや、他の方々にもお伝えせねばと毎度のように改めて思わされた次第です。
『ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。
人の子の到来はノアの日と同じように実現するのです。』(マタイ24:36、37)
イエスキリストの再臨が先か私たちの『死』が先になるかはわかりませんが、いずれの場合にも希望と共に臨む者でありたいですね。
絶対といえる『死』について、聖書のメッセージより希望を得て頂くことをお祈りさせて頂きます。
スタッフよしこ
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