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聖書に基づいた子育てとは

 

 私事ではありますが、今年の春から次男が独立して夫婦二人だけの生活になりました。

 

普通でしたら寂しくて落ち込んでしまう人もいるのでしょうが、幸い仕事もあり、教会で様々な世代の方々と交流したり、奉仕をしたりして忙しく過ごしていますのでそれほど落ち込むこともありません。

 

教会学校で小さな子供たちと接するたびに、自分の子育てはどうだっただろうか?

 

間違ってはいなかっただろうか?もっとこうした方がよかっただろうか?と自問自答したりします。

 

 

 私が子育てとはこうあるべき、なんて語ることはできませんが、以前行ったセミナーでとても良かった内容が記事になっていましたので紹介します。

 

聖書に基づいた子育てとは? CGNTVなど主催で「家庭回復リバイバルセミナー」開催 : 神学・教育 : クリスチャントゥデイ

 

https://www.christiantoday.co.jp/articles/25349/20180322/biblical-child-raising.htm

 

 このセミナー10年前に聞きたかったよ。と感じたのを思い出しました。

 

記事抜粋

 

子どもたちが「失敗」したときにこそ、「それでも愛している」と伝える。

 

「子どもを神のように扱ってはいけない。子どもたちが親に従い、そして神に聞き従うように育てるとき、神が用いることができる」

 

御言葉と祈りをもって育てる

 

 ここまでが思春期までの育て方で

 

思春期になって親から離れていこうとするとき、自分の手から少しずつ放していくことが重要じゃないかなと思います。

 

10代の子どもは親の信仰が本物か、偽物かを見ている

親たちがしっかりとした信仰に立ち、そして「子どもの魂に責任を持つ親になるべき」

 

私の子供たちも思春期の頃はそれなりに大変でしたが、その時の祈りの答えは「忍耐を持って待つこと」

 

「手放して少しずつ自分の人生を歩めるようにしていくこと。」でした。

 

親が何とかしようとしないで本人が気づくまで神様にゆだねることです。

 

 

 あと、私が実行していることは自分に余裕ができたら周りの人に親切にしたり手助けをしたりすれば、

 

もう大人になった私の子供たちも何か困難なことがあった時にきっと誰かが助けてくれたり、

 

離れていてもいつも祈っているよ。と伝えることで一人じゃないと思えるんじゃないかな。と思います。

 

 

 気の合う友達と遊ぶのもいいですが、教会では多様な人と知り合うことができます。

 

その基準となるものは聖書です。

 

 

 多様な教会員のみなさんで飾った掲示板です。

 秋らしくかわいく作りましたね!

 ベルマークも集めていますので、ゴスペルクワイヤーの皆さんも持参していただいたりご近所のかたもポストに入れていただければと思います。 

                         

 はらちゃん

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コメント: 2
  • #1

    まみぞう (火曜日, 15 9月 2020 08:33)

    はらちゃん、いつもたくさんの恵みをお分かちくださりありがとうございます。

    セミナーからも多くを学ばせていただきました。真実なお証しに感謝します。

    親が何とかしようとしないで本人が気づくまで神様にゆだねること…
    本当にそうですね!まさに「早く気づいておくれ~」との祈り(闘い?)の最中。

    先回りしてやってしまうクセも神様に取り扱ってもらわなければいけません(^^;

    ブログを読んでいて神様とのパートナーシップの中で子育てできること以上に素晴らしい教育はないなぁと感じました。

    これからも、とにもかくにも神様に祈る親でありたいです。

  • #2

    スタッフよしこ (金曜日, 18 9月 2020 21:24)

    はらちゃん、いつも色々どうもありがとうございます!

    リンクにあった記事、私も興味深く読ませて頂きました。

    自分の成長過程においてどのように両親に教育されて来たかを振り返ったり、
    これから親として新たな人生の局面に入ろうとしている自分自身のことを考えたりと、
    参考になり、また学ばせて頂きました。

    私も前半の『神の愛を実際に行うと、神の愛を自分自身も感じるようになる。そして、子どもたちにそれを示すとき、子どもたちもそれを分かるようになる』や後半の『まずは親たちがしっかりとした信仰に立ち、そして「子どもの魂に責任を持つ親になるべき」と訴えた。』が印象に残りました。

    まもなく始まろうとしている子育て、しっかりと聖書を基にして臨みたいと思わされました。