こちらのメッセージはゴスペルクワイヤーレッスンの中での新垣牧師のショートメッセージです。
「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。」(ヘブル人への手紙4章12節)
21世紀になっても人々が教会に来られるのは、人間は何かを求めているからです。それは「何か」です。自分でも分かりません。学者にも分かりません。すなわち頭でどんなに考えても分からないということです。人生には経験して見なければ分からないということがあります。地球上のまだ見たことのないところの景色は、類推でだいたい見当がつきます。でももし天国があったとしたら(本当はあるんですが)、見当もつかないでしょう。ここは生きている人間の経験の範囲外のところだからです。このように、人が求めていることの中には、地上経験の範疇にはないことも含まれているのです。
これはどんなに考えても分からないことですから、ほとんどの人は無視しています。でも無視できない人もいます。そう言う人が教会に来ていると言うことになります。別の形では本屋に行ったり、旅行したり、座禅を組んだり、麻薬におぼれたりします。これを求めているのは胃袋ではありません。心です。
ところが教会に来て、聖書に触れて、自分の本当の姿が突然見える、と言う経験をすることがあります。ほとんどの人は、心の最も深いところの実情は秘密にしています。口が裂けても言えないでしょう。
ところが、聖書に触れているとそこまで明らかになります。刀でも切られない心が切られたという感じです。
「見分ける」と言うのは「診断する」と言う意味です。神のことばが、神様があなたの心を診断されるということです。実は人間の心は病んでいる。全世界の人の心は病んでいる。この状態をどうするかは、救い主である方にお願いするしかないのです。
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