「わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」(創世記3章15節)
園での事件に対して神は三つの裁きを下されました。誘惑者である蛇と、誘惑された女と、妻である女に従った人へです。
15節は誘惑者である蛇に対する判決文です。これを動物である蛇へのことばと取るとべきではありません。背後に人類の誕生の初めから世の終わりまでまとわりついてきた悪への誘惑者の存在に注視すべきです。
人類はすべての時代で堕罪への傾向性に悩まされてきました。争いは個人から国同士のレベルで抜き差しならない状態が続いてきました。善悪の知識の木からの実の効果も表れ、21世紀を迎えた現在、知の極致に達し文明は人々のありとあらゆる苦役から解放しました。にも拘らず、精神は何かおかしいのです。誘惑者のたえざる攻撃を受けているからです。私もあなたもいつ破滅の落とし穴に陥るか分からない状態です。
人生そのものが理不尽に満ちているのですが、人は常にその非を自分以外に求めてきました。私たちには敵意が注がれています。それは何処からきているのでしょう。地を這う蛇を見たことがありますか。あれが私の人生を狂わせているとはとても信じられません。あれは象徴にすぎません。あの背後に見えざる敵、悪魔ともサタンとも呼ばれる敵が存在しているのです。罪とは何でしょうか。神不在が罪であると言っても理解する人は少ないでしょう。モーセの十戒の中に「人の物を欲しがってはなりません」という規定があります。人が何を持っていようが悶着しない人がいるでしょうか。心の中の小さな動き、もうそこに罪はあるのです。
もし人が誘惑されているのなら、罪の責任を誘惑者に帰すことは可能です。誘惑されることは有罪とはなりませんが、それに乗った場合、責任は免れません。この有罪判決から逃れられる人は一人もいないでしょう。神さまも全人類を地獄へ送ることを喜びません。蛇に誘惑された人のために救い主を用意されました。それが女の子孫から出てきます。誘惑者はその救い主の踵に噛みつくでしょう。しかし女の子孫である救い主は誘惑者の頭を打つ、このことがすでにエデンの園において預言されているのです。
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